池谷裕二×糸井重里『海馬 脳は疲れない』からクリエイティブに関係のありそうな部分だけ抜書きしました。
●脳の本質はものをものとを結びつけること
ものをものとを結びつけて新しい情報をつくっていくことが、脳のはたらきの基本です。脳は、毎日であっている新しい情報がどういうものなのかを分類してい ます。そして、何かを解決したいと思った場合には、まったく関係のないように見える情報どうしをとっさに結びつけるのです。
● ストッパーをはずすと成長できる
人間の体は、ある方向へのエネルギー注入を止めることで、多方向へのエネルギー注入を増やすようにできています。脳もまたおなじです。「できないかもしれ ない」と心配するストッパーをはずさないことには、無意識のうちに能力にブレーキをかけてしまいます。一見「無理だ」と思えることでも、気持ちにストッ パーをかけずにやり続けてみると、あなたの能力は飛躍的に向上することでしょう。
●30歳を過ぎてから頭はよくなる
あらゆる発見やクリエイティブのもとである「あるものとあるものとのあいだにつながりを感じる能力」は30歳を超えた時から飛躍的に伸びるのです。
●脳の成長は非常に早い
実際の体験を通してものごとに上達していくことは、想像以上に簡単に達成できます。なぜなら、実践するたびに脳にできていく回路は「二の何乗」というかたちで増えていくからです。経験をすればするほど飛躍的に脳の回路が緊密になるのです。凡人と天才の差よりも、天才どうしの差のほうがずっと大きいというのは、そのような理由からです。
● 脳は、わからないことがあるとウソをつく
脳は理不尽なことがおこるともっとも合理的な方法で決断をします。また、海馬を損傷して自分の記憶があやふやになると、欠けた記憶につじつまを合わせるように、自我を保とうとして延々とつくり話をしてしまいます。海馬を失ってしまった患者さんから「脳は、ものごとに対して次々に思い込みを重ねていくという性質がある」ということを学びました。わたしたちはふだんの何気ない会話でも、知らないうちにウソを重ねています。
● 旅は脳を鍛える
何もない環境にいたネズミを刺激的な環境に移すと数日で海馬が増えます。逆に、刺激のある環境から何もないところに移すと、ネズミの海馬は数日でダメになります。海馬にとっていちばん刺激のあるものは空間の情報です。つまり、旅をするほど海馬に刺激が与えられると推測できます。
海馬を破壊されると、ネズミにはものすごいストレスがかかります。逆に、海馬が発達していると胃潰瘍が少なくて済みます。海馬は「新しい環境はストレスではないんだよ」と自分に伝える役割をするのです。海馬は新しいことを処理する能力に長けています。
● 脳に逆らうことが、クリエイティブ
刺激を求めているけれど、同時にいつでも安定した見方をしたがるのが、脳です。創造的なことをしたいと思っている人は、画一的な見方をしたがる脳に対して、挑戦をしていかなければなりません。
● やりはじめないと、やる気は出ない
やる気を生み出す場所は脳の側坐核にあり、そこの神経細胞が活動すればやる気が出るという仕組みです。刺激が与えられると活動する場所なので、「やる気がない場合でも、やりはじめるしかない」のです。やっているうちに側坐核が自己興奮してきて、集中力が高まって気分が乗ってきます。「仕事をやる気がしないと思っても、実際にやりはじめてみる」というのはかなりいい方法でしょう。
● 受け手がコミュニケーションを磨く
神経細胞のつながるカギを握っているのは受け手です。脳細胞がそうであるように、わたしたちの日常でも、「受け手としての磨かれ方」が、コミュニケーションにおいてとても重要かもしれません。受け手が活発であれば、関係は築かれるのです。
● 予想以上に脳は使い尽くせる
「脳は使い尽くせるんだ」と気づくことができたら、どんな年齢であっても、脳の力を伸ばしていけます。ふと「これ、おもしろいなぁ」と感じることはとても大切なことです。なぜなら、自分の視点にひとつ新しいものが加われば、脳の中のパターン認識が飛躍的に増えますので、新しい視点の獲得を繰り返せば、脳はそれらの視点を組み合わせ、驚くほどおもしろい考えや発見を生み出していくのです。
● 他人とつながっている中で出た仮説には、意味がある
「あとで修正するかもしれないけれど、今考えているのはこういうことです」という表現は、可能性に満ちています。人類史上稀にみるロングセラー『聖書』『論語』などはいずれも「……である」と断定したエッセンスだけを述べることはしていません。必ず「……と言った」と他人とのつながりの中で語られる仕組みを取っています。これは、話の内容を伝わりやすくする表現のテクニックであり、考え途中のまま発表しているのですよ、という方法論でもあるのでしょう。
金を使えば使うほど、人は投資した対象に期待するようになる。ひと財産つぎ込んだからには、完璧でないと気がすまない。ところが人生はえてしてゴタゴタの寄せ集め、理路整然と事が運ぶことなどまずない。ましてや危なっかしげな備品(使用人)ばなりに囲まれての生活では、完璧を望むほうが無理というものである。そのあたりが気になりだしたときから、裕福な人々の厄介な人生は始まる。自分で自分の人生をややこしくしている人々を、実際、私は目の当たりにしてきた。私たちにはどうでもいいことが、彼らにとっては一大事となってしまうのだ。朝食の卵の茹で時間が数秒足りない、こんなものが食べられるか。かすかに一本しわがよっている、このシルクのシャツはもう着られない。お抱え運転手がまたニンニクを食べてきた、我慢の限界だ。あのドアマンは少し無愛想だ、いや、馴れ馴れしすぎる。といった具合に、平和であるべき人生見渡すと、そこいらじゅう腹立たしいことだらけである。
『贅沢の探求』ピーター・メイル著
地震という言葉と震災という言葉が普通、ごっちゃに使われておりますけども、私が地震と言っておりますのは地下の現象です。地下で岩石が破壊する、これが地震であります。
これは自然現象でありまして、もう、よくも悪くもない、もう日本列島の大自然として淡々と起こっている。我々が日本列島に住む遙か前から、地震はそうやって起こっている訳です。
震災というのはそれに対しまして社会現象であります。地震の激しい揺れに見舞われた所に我々の社会、あるいは文明がある時に生ずる、その社会の災害でありまして、社会現象だと思います。
| — |
石橋克彦(いしばしかつひこ) 1944年神奈川県生まれ。 地震テクトニクスを専攻とし、東海地震説の提唱者として知られる。 |